樋口恵子 氏講演会・討論会

「大介護時代 ~ 長生きを心から喜べる社会へ ~」

今回で8回目になった当協会の講演会・討論会を2014年11月15日、東京医療センター大会議室で開催しました。参加者は約80名でした。

講師は評論家、「NPO高齢社会をよくする女性の会」理事長樋口恵子さんにお願いしました。テーマはご著書にある「大介護時代 ― 長生きを心から喜べる社会へ ―」としました。

先生は、現在の介護保険制度の設計にあたられ、「介護は家族(嫁や娘)にまかせておけばなんとかなる」ということでは済まなくなってきた状況に対応して「外部サービスの提供により、家族(嫁や娘)の負担を一部代替する」という画期的な制度導入に尽力された方です。爾来、日本の介護に関する福祉は一変し向上しました。

しかし、制度導入後15年目を迎え、社会は想定を超える家族介護の崩壊に直面しています。三世代が同居していることは稀になり、嫁や娘に頼ることができない世帯(老夫婦のみ、おひとりさま、未婚の子と住む高齢者世帯)が急増していることに先生は着目、この急激に変化する日本の現状を分析し、海外に学ぶべきことはないかと目をくばり、文字通りの大介護時代にいかに対処すべきか、家族が頼りにならないならば、近所の他人が助け合わねばなど、多くの示唆に富むお話をしていただきました。詳細は、次回のニューズレターに掲載します。

講演の後、9グループに分かれファシリテーターをおき、30分間の討論セッションを設けました。個々切実な問題の披瀝と情報の交換で、講演で提示された問題を深めると同時に参加者同士の交流も実現しました。最後に、講師のコメントと参加されていたシニア社会学会会長、袖井孝子先生のコメントをいただいたのも有益でした。

参加された皆さまは、大介護時代の只中にいるのだという感慨と、覚悟をもってケアに当たるヒントを得て帰路につかれたのではないかと感じました。

 

NPOホームケアエクスパーツ協会    酒井忠昭

講師略歴

1932年東京都生まれ、東京大学文学部卒業。時事通信社、学習研究社などを経て評論活動に入る。NPO法人高齢社会をよくする女性の会理事長、東京家政大学女性未来研究所長、著書に「大介護時代」(中央法規出版、2012)、「私の老いの構え」(文化出版局、2008)、「人生100年時代への船出」(ミネルヴァ書房、2013)、「人生の終い方」(ミネルヴァ書房、2014)、その他多数。また、内閣府男女共同参画会議議員、社会保障国民会議委員など、多くの政府審議会メンバーを歴任。

石飛幸三氏講演会・討論会

「平穏死という言葉が生まれたわけ ―望ましい最期を迎えるために― 」

2013年12月7日、国士舘大学梅ヶ丘校舎において、第7回講演会・討論会を開催しました。80名を超えるご参加をいただき、基調講演のテーマをめぐって、参加者の体験・現況を踏まえて活発に意見交換しました。

講師は、特別養護老人ホームで、長寿の方々の医療に携わり、そこでの経験を纏められ、ベストセラー著述家として話題の人、石飛幸三先生。先生は、これまで「尊厳死」と抽象的と云われていた高齢者の最期を、「平穏死」と表現されて、医療者やケアに携わる方々に、新しい取り組み方についてヒントを提示されました。

講師:石飛幸三先生(特別養護老人ホーム芦花ホーム常勤医)

1935年広島県生まれ、慶応義塾大学医学部卒業。
外科学教室入局後、ドイツのフェルディナンド・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務。
その後、東京都済生会中央病院に30年勤務、
その間慶応義塾大学医学部兼任講師を勤める。
1993年東京都済生会中央病院副院長、
2005年より現職。
著書に「平穏死のすすめ、口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社)、
看護の時代 看護が変わる 医療が変わる」(他2名と共著、日本看護協会出版会)、「こうして死ねたら悔いはない」(幻冬舎ルネッサンス)など。

袖井孝子氏講演会・討論会

「皆で創る安心のコミュニティケア―ケアし、ケアされる関係の確立」

今回は袖井孝子氏(老年社会学会会長、お茶の水女子大学名誉教授)をお招きし、「皆で創る安心のコミュニティケア―ケアし、ケアされる関係の確立」をテーマに講演とグループ討論(ワールドカフェ方式)を行いました。司会は釘本祥子氏(桜ヶ丘サービス、代表)にお願いしました。

<講演>

以下、袖井先生の講演の要旨を記録します。

 

テーマは皆で考えていただきたいと思い選びました。2年前、100歳を超えた男性が死後10数年を経て発見され話題になり、これをきっかけに多くの生死不明者が発見されて、家族や地域の絆が弱くなった象徴とされました。無縁社会という言葉が流行ったり、都会で居住者の50%以上が高齢者で、互いに関係の希薄な団地のありさまが報道されるなど、高齢者の孤立、孤独がクローズアップされています。しかし、2011311日東日本大震災後には反対のことを感じました。津波が襲ったとき犠牲になった消防団、老人を助けようとした人、避難を呼びかけ続けた役場の人の献身的な行動、親を亡くした子供をほとんど引き取った親族などに東北の人々の絆の強さを感じました。

また、多くのボランティアが見られたのも印象的でした。これまでの日本は、身内には親切だが他人には冷たく、世間体を気にして異質なものを受入れない村社会でしたが、今回は違いました。日本には寄付文化は育たないと言われていましたが、今回の震災では高齢者の半分が寄付をし、寄付者の数は前代未聞だったといいます。日本ではこれまでチャリティやボランティアにたいする評価が低く、システムがありませんでした。カリフォルニアのある会社のトップに近い女性は専業主婦でボランティアに精を出していましたが、就職のとき経歴が評価され、会社の社会貢献部門に採用され、昇進して幹部になったといいます。最近、日本でも寄付税制が改正され、社会の変化の兆しです。

「新しい公共」は政府の財政逼迫が元々の理由ですが、新自由主義的な考えに基づいて民間の活力、市民や地域の活力、創造力を使おうとする考えです。政府の財政難、知恵の不足、官僚システムの限界という状況で提示されました。200910月の鳩山首相の所信表明の中で格調高く主張されました。新しい公共円卓会議がつくられましたが、内閣の消褪とともに、その後あまり実行されていないようです。前提として公益法人改革があります。従来の公益法人は団体、官僚、族議員の不透明な関係がありましたが、来年の末までに改革されることになっていて、その点は市民活動のやりやすい条件が整い、新しい気運が出てきました。

社会の少子高齢化は明瞭です。日本は50年後人口が今の2/3になり、65歳以上が4割、14歳以下が1割を切ると言われます。後期高齢者は老年学会で昔から使われていた専門用語ですが、この数が増えるのは避けられない状況です。したがってこれらの方々のケア重要な問題です。ケアには2つの意味があります。ひとつは手段的意味で世話をする、面倒をみることで技術的な身辺介護の意味です。他は情緒的、心理的意味で思いやる、大切に思うことです。これまでは効率的、能率的にケアすることに重点が置かれ前者が強調されてきました。しかし、ケアされる側の安心感、満足感を考えると、それだけでいいのかとなります。要はケアし、ケアされる両者の折合いがつけられるケアは何かということです。また信頼関係をどう築くかが問題になります。

多くの人が亡くなってゆくとき、どうしたらその方々が安らかに終末を迎えるか、社会で人々が共通の理解、目的、価値観を共有できるかが問われます。私の属する日本老年医学会の倫理委員会は今回終末期医療への立場表明をしましたが、2年間の議論の末「場合によっては医療撤退もありうる」という文言を加えました。医師の責任が追及されることを懸念しているのですが、社会に一定の合意ができなければならないと思います。

スウェーデンの事情を視察しましたが、老人病棟では最終的には医師が決断する。リビングウィルがあっても、家族の希望があっても医師が患者のQOLを優先して決めるという合意ができているということでした。日本でもこれから議論しなければならないと思います。(酒井記)