2023春ニューズレター -これまでの活動とこれからの展望- 

はじめに 酒井忠昭
医療・介護保険外看護・ケアサービス 松沼瑠美子
各活動(音楽療法、心理カウンセリング、傾聴、医療・生活総合相談、講演会、落語会、ニューズレター) 酒井忠昭
人権擁護、法律相談 籔本義之
ファンドレイジング(基金調達活動) 酒井忠昭
訪問看護ステーションにおけるコミュニティ音楽療法-11年間の試み 丸山ひろ子
訪問看護ステーションで始めたコミュニティ音楽療法 土川稔美
訪問看護ステーションにおけるディグニティセラピー(臨床心理士の参画を得て) 土川稔美
ディグニティセラピーとNPO活動(長寿型ディグニティセラピーという試みから) 無藤清子


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はじめに

理事長・医師    酒井忠昭

 

私たちのNPOは設立して15年になります。設立の趣旨として「高齢者の在宅療養を支援し、豊かな晩年と安心の看取りの実現する」ことを目標にしました。

医療・看護・ケアの領域は、生活という極めて日常に関わる側面と、生命や尊厳といった人の人生という大切な価値に関わる側面を持っています。設立以来の経験の中から私たちが学んできたこと、大切にしていきたい理念は次のような事柄です。

ケアの精神、さまざまな形のコミュニケ―ション、そして経済成長が行き詰まり、格差が拡大する社会における相互扶助の精神です。私たちが地域で相互扶助を実践することは、コミュニティ(地域共同体)の再生を目指すものですが、近年、社会に欠かせない共有資源であるコモンに注目して「コモンの再生」ともいわれます。私たちのNPOは、これからの活動の中で、これらの理念を引き続き追求したいと考えています。

 

高齢者や病気を抱えた方々は、医療、看護、ケアを必要とすることが多く、医療保険、介護保険制度のサービスを提供する訪問看護ステーションを活動の中心にしました。訪問看護ステーションは、現在、常勤、非常勤の訪問看護師・理学療法士ら23人のスタッフが医療・介護保険で訪問看護の対象となる利用者100数十人への看護・ケアを提供するなかで、利用者がさらに求めているものを知り、それを提供することで、療養生活が一層充実することを目指しました。利用者は医療・介護保険が提供するサービス以外にも、求めるものはあります。例えば、決められた時間以上のサービスを必要とすることがあります。また、病気末期の方々には傍らで見守り続け、安心を保障することも必要です。多くの利用者は、医療機関を受診して病状の説明を受けたり、その後の方針の相談にあたる時、専門家が傍にいて助言など援助することが重要になることがあります。NPOの専門スタッフ(看護師、医師など)は安心の提供、同行、助言を行い、利用者を支援しています。

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医療・介護保険外看護・ケアサービス

 

    副理事長
訪問看護ステーションしもきたざわ所長・看護師
松沼瑠美子

これらの保険外サービスを含めて私たちは、ご利用者が必要とすることを、必要とするときに、過不足なく提供すること、ご本人が自分らしく誇りをもって生活していけるようになっているのか。それらを追究し続けることが、私たちに課せられた役割だと信じています。

 

以下のような事例がありました。80代女性。独居。脳腫瘍の術後、施設に入ることになりました。施設に入居できるまでの間、在宅で1泊することになりました。術前までは定期訪問をしていた方なので、帰宅できる状態まで改善しての退院と思っていましたが、実際に訪問すると、一人でトイレには行けない状況で何枚もオムツを重ねて装着しており、夜は見守る人もなく、朝の訪問までは一人になってしまうことが分かりました。なぜ自宅に帰ってきて、一晩一人で過ごすのか、ご本人は手術の後遺症で認知力が落ちており、理解できていないようでした。トイレに行きたくなった場合には、転倒の危険性が高いと思われました。夕方の看護師の訪問は1時間、夕食と排せつの世話。病院での睡眠パターンを確認し、それにあわせて就寝ケアと入眠するまで21時から24時まで付き添い、熟睡を確認して退室。朝は6時から9時の付き添い、9時から10時までを1時間の訪問看護として出かけるまでの時間を一緒に過ごしました。看護スタッフは2名が交代で対応、ご本人は夜はとても安心して眠れたと涙ぐんで感謝を述べ、朝はとてもにこやかな笑顔を残して施設へと向うことができました。スタッフは、これが自宅で過ごす最後の夜になることを知っていました。せめて自宅で過ごす最後の夜は、安心してぐっすり休んでほしい、尿で汚染されたままで不快な思いをすることなく、気持ち良く過ごしてほしい、という願いを行動にしたのがこの付き添い看護でした。

その他の事例にも、在宅で最期を迎えるためにご本人もご家族も覚悟のうえで病院から退院してきたものの、痛みの出現や体力の低下、これまで経験したことのない症状と辛さ、言葉にしきれない不安感に襲われることがあります。最期の時をどう過ごすか、ご本人や家族が揺れ動くときは、そばに寄り添い、ご本人とご家族の気持ちの架け橋になり、ご本人ご家族がともに最後の時を共有し合える環境と方法を伝え、整えた後に退室することも増えました。さらに、ご家族が一時的に介護から離れるために、ご家族に代わって、数時間付き添うこと(レスパイトケア)もあります。人生の中で一度しか訪れない貴重な時間を、逝く人も送る人も大切に過ごしていただきたいという願いがあります。

保険外サービスとしてのもう一つ特徴的なことは、医師の診察への同行・同席です。外来受診、在宅診療時、どちらの場合もあります。書面を通しての看護内容の指示関係だけでは医師の治療方針を理解し、療養者のためのケアチームとしての在宅支援の方針を打ち出すことは困難です。とくに療養者、ご家族がチームの中心、主役となるためには、医師との懸け橋となり、療養者、ご家族が理解を十分に共有するように支援することが重要です。

医師の診療時に、療養者、家族に分からないことがあっても、説明が理解できなくても、言葉で医師に伝えることをせず、何となくうなずいてしまい、理解も同意も不明確、あるいは納得がいかないままにしてしまうことがあります。後で看護師に「どういうこと?」と質問されることも珍しいことではがありません。

私たちは、療養者やご家族が医師に聞きたいこと、病気について心配なことを事前に聞き取ります。療養者、ご家族と接する中で、推察できた心配事や病気に対する疑問なども確認し、診察の前に一緒に整理、準備をしておきます。

 

看護を必要としている方へ、必要な時に、必要な内容と量が、過不足なく届けられるために、どうしたらよいのか。ご本人が自分らしく誇りをもって生活していけるようになるサービスになっているのか。それらを追究し続けることが、私たちに課せられた役割だと信じています。できれば他のステーションにも広げ、仲間を増やしていきたいと考えています。

NPOの活動資源である寄付金をお寄せいただける活動だと評価していただけるよう、これからもスタッフ一同頑張っていきたいと思います。

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各活動(音楽療法、心理カウンセリング、傾聴、ニューズレター、医療・生活総合相談、講演会、落語会)

酒井忠昭

NPOはまた、コミュニティ音楽療法、心理カウンセリング(ことに私たち独自のディグニティセラピーをふくむ)、医療・生活総合相談、傾聴、定期的な講演会、落語会などを行ってきました。以下、それぞれについて略述します。

 

「音楽療法」は当NPO創設時から継続して実践してきました。後に、音楽療法士が中心になり、看護師、ボランティアとも連携し、地域社会の方々のご参加をいただき、コミュニティとして文化的社会的な成長を促すことを目的とした「コミュニティ音楽療法」を行ってきました。ここでは音楽を介した理想的なコミュニケーションが達成されています。(活動の経緯や詳細について後段で記します)

 

「心理カウンセリング」の活動として、臨床心理士が、ステーション利用者とその家族へのカウンセリングを行い、また、ステーション利用者へのディグニティセラピーを実施してきました。カウンセリングでは、病いの経験や日々の暮らしの中で、本人と家族が遭遇するさまざまな問題について、共に考えて納得できる道筋を捜します。また、ディグニティセラピーは、緩和医療分野に由来するセラピーで、訪問看護ステーションとしてはユニークで評価の高い実践です。利用者が人生で大切にしていることについて、また、大切な人に伝えておきたいことについても語っていただき、小冊子にまとめるものです。語ること自体と、小冊子にまとめること、それを渡したい人たちに手渡すこと、遺すことは、本人にとっても、家族にとっても、大切な意味を持っています。現在、多職種で協働して取り組んでいて、この可能性をさらに探求していきたいと考えています(後段で詳述します)。

 

「傾聴」での会話による交流は心を充実させます。話すこと自身が楽しく、ときに慰めになりますが、問題があるときは、傾聴のなかで自ずと解決の道筋が見えてくることがあります。

 

各分野の専門家による「医療・生活総合相談、法律相談」を実施してきました。

医療に関する実例のひとつを示します。70歳代の女性、検査で肝臓の酵素値(GOT、GPT)が急に上がって、値が1400、1100に達した方の病院にNPOの医師が同行しました。異常な高値で劇症肝炎の疑いがあると思いましたが、病院医師は家で安静にするよういうばかりでした。それまでに処方された薬の一つ(モサプリド)の副作用に劇症肝炎があげられていたので、同行した医師は診察室で「入院させていただいて、ステロイド投与をした方かよいのではないか」と口を挟みました。医師はそうしましょう、と言い(気分を害したかもしれませんが)、入院してプレドニン30mgの投与をはじめました。この治療に劇的に反応して検査値は改善しました。その後プレドニンを漸減して投与をやめるまでに5か月ほどかかりましたが、その方は健康を回復しました。

これは、一つの例ですが、医療に限らず生活全般にわたって専門家(医師、看護師、社会福祉士、臨床心理士、弁護士ら)が相談に乗り、セカンドオピニオンなどを提供することが、皆さまに安心を提供し、自律した生活の支えになっていること実感しています。

 

年に二回、発刊している「NPOニューズレター」をコミュニケーションのプラットフォームとしています。スタッフをはじめ、NPOを支えている会員、支援者、訪問看護ステーションのご利用者、ケアマネージャーなど種々のサービス提供仲間らに、エッセー、所感、意見などをお寄せいただき、互いに日常以外の面を知り合い、関係を深める舞台としました。

 

以下の催しを主催してきました。年に一回、医療、看護、福祉、その他の趣旨に沿ったテーマの「講演会」を開催し、講演後のグループセッション(グループの話し合い)でテーマの理解を深め、地域の方々との交流を図ってきました(これまでの講師は、山崎史郎、村松静子、永田久美子、帯津良一、袖井孝子、石飛幸三、樋口恵子、木村晋介、平田オリザの諸氏)。

訪問看護ステーションでは、定期的に医療・看護のテーマ(たとえばコミュニケーション技術、リスクマネージメント、看護倫理、認知症、緩和ケア、神経難病、排泄ケアなど)で専門家を招いて「研修会」を行ってきました。今後も引続き行います。

これまで3回、著名な画家(森田茂、池田清明、安増千枝子、ジュディ・オング、渡辺幸子、足立源一郎らの作品をふくむ)のご協力のもとに「美術バザー」を行ない、ご寄付をいただきました。これはNPO会員や地域の方々との交流の機会でもあり、後述する有力な基金調達活動のひとつでした。今後も企画したいと思います。

年に一回、立川志の輔一門の志の春、志のぽん師匠を招いて「落語会」を催し、笑いの効用を享受しつつ会員および地域の方々との交流を図ってきました。

 

孤立した境遇にあるご高齢者は、しばしば弱者として扱われがちです。とりわけ家族間の問題は、周りの人の立入り難い状況になり、法的な介入が必要になります。また、高齢で認知症を発症した場合は、成年後見制度の支援が必要です。当NPOでは、弁護士の役員がこれらをはじめとする法的な考慮を要する相談に乗っています。

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人権擁護・法律相談

理事・弁護士  籔本義之   

長寿社会になったのはよいのですが、家族関係や財産を原因とするトラブルがふえているのも事実です。こんなことがありました。長男が母のタンス預金から「預かった」という名目で数百万円を持ち出したので、長女が返すように言いましたが長男が返さないという事件でした。数百万円を「預かった」という長男の言い分は「長女が母のお金をいいように使っている」ので母から頼まれたということでした。背景には、母が80歳をこえて判断能力が落ち、相対的に力を持つようになった子の言動に迎合的になっていたことがありました。

高齢になってくると身内に嫌われたくない気持ちが強くなりがちです。自分で身の回りのこともできないようになってくると子のサポートを頼り、子のほうも事情があると、その間で財産が動き、家族間のトラブルにつながるのです。

上記の件は、私が母と任意後見契約を締結し、財産管理者となってお金を持ち出した長男に返還を求めました。任意後見契約とは、ご本人に判断能力があるときに将来認知症などで判断能力が不十分になったときに後見人として財産管理や身上監護を委ねることを約するものです。母が交通事故に遭って、私が加害者に損害賠償請求を行った関係性があったので後見人の役を委ねていただきました。

しかし、長男は持ち出したお金をなかなか返しませんでした。母はその後、体力の衰えから老人ホームに入居しましたが、まもなく認知症が進行し、私は正式に任意後見人に就任、結局、母の代理として裁判をしてお金を取り戻しました。

長寿社会では認知症等の病気によるトラブルはなかなか避けられない現実があります。家族で解決できればよいですが、家族にも様々な事情があってトラブルに関与できないこともあります。そういった場合、後見制度の利用が選択肢になります。後見には、判断能力が不十分になったときに裁判所が選任する成年後見と、上記のように判断能力があるうちに後見人を選んでおく任意後見があります。

その他、ご相談例には、交通事故や介護事故等による損害賠償、相続(遺産分割、遺留分)、離婚、婚姻費用、養育費、面会交流、親権者変更、親族間の紛争調整など様々なものがあります。

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ファンドレイジング(基金調達活動)

酒井忠昭

NPOの財政は寄付や助成金に依存しています。私たちはNPOの活動を慈善とは考えていません。社会の活動は税金による公助、自分で賄う自助と、互助(「お互いさま」の気持ちの具体化)の活動があります。NPO活動は互助の一部です。寄せられる基金は活動に対する同意や共感によるものです。自分が出来るとき他を助け、自分が必要とするとき遠慮せずに受けるのは相互扶助であり、社会の基本的原理のひとつです。

かつて英国の厚生省に当たるNHSを訪れ、多額の予算をNPOであるホスピスに充てている点を質問したとき、担当官は「政府の仕事を肩代わりしているのだから当然」と述べていました。日本の政府も寄付額の一部(認定NPOの場合は約50%)を所得税から還付しています。寄付を求める立場で厚かましいとお思いかもしれませんが、私たちは行政の眼が届かなくても必要な部分を補完していると考えています。NPOの活動の趣旨に賛同して寄せられる寄付は、寄付者の希望に沿った目的に使われるので、使途が明確には把握できない納税より利点があるともいえます。

 

国際的な寄付文化の違いをみます。米国における寄付総額は年間30兆円を超え、GDPの1.4%、英国は1兆5千億円で0.5%に対し、日本は7千700億円、0.14%です。英国の寄付は個人が大部分ですが、日本の多くは企業からです。ロンドンマラソンは NPO が主催して、出走者の多くが、あるプロジェクトの応援を旗印(たとえば小児がん、環境問題、難民支援などの基金集め)にして参加します。当日寄付される金額はおもに個人からで、100億円を超えます。私たちのNPOもこれに倣って、東京マラソンに出走するランナーが当協会支援を旗印にして参加し、2度にわたり応援募金を行って多額のご支援をいただきました。近年、日本でも寄付に対する一般の理解が進んできています。2021年には当NPOが「豊かな在宅医療と安心の看取を」と謳ってクラウドファンディングを行い、多くの方のご支援をいただき、目標額を達成しました。

 

最近、相続税法の改定がありました。遺贈額は相続の課税対象額から減じられます。調査では、遺贈を希望する方は20%、子供・配偶者なしの方では43%、夫婦2人の方では38%、ただし遺言書まで作成している人は10%弱です。遺贈を希望する理由の44%が意義のある社会活動に使ってほしいと考え、高齢者を対象とする使途が2番目に上がっています。

 

以上、私たちのNPO活動と現代社会とのかかわり、およびご寄付と遺贈についての考えの概略を述べました。昨今、寄付というと反社会的活動が多くの方の脳裡をよぎり、否定的な反応を呼び起こすかもしれませんが、今回皆さまにお願いしておりますご寄付、ご支援は、相互扶助的な考えから、目の前の、いわば隣人の皆さまのご要望に応えて提供するサービスを賄うためのものです。私たちの活動をさらに多くの方々に届けるため、ご賛同いただける個人の方、組織の方にはぜひご支援を賜りたくお願い申し上げます。

 

最後に、私たちの活動の主体は、認定NPOホームケアエクスパーツ協会です。一定の目標をもった非営利の組織で、地域共同体の活性、「コモンの再生」を願う人々の結びつきです。「コモンの再生」を目指して世界の各地で展開している人々は、このような自発的な相互扶助組織を「アソシエーション」といっています。歴史的にはヨーロッパで福祉国家の制度的要素になった社会保険、年金、公共医療が起源とされています。規模の大小はあっても、相互扶助を核とする組織というのが適切な意味でしょう。「アソシエーション」の社会的含意が適切に理解され、現代社会で生命(いのち)ある言葉になり、活発な活動の足場になることを期待します。

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訪問看護ステーションにおけるコミュニティ音楽療法-11年間の試み

            日本音楽療法学会認定音楽療法士  丸山ひろ子

 

<音楽療法について>

音楽療法とは「音楽の持つ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容に向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること」(日本音楽療法学会)と定義され、対象となる方それぞれの状態に合わせて、目的や活動内容を設定して行います。

<コミュニティ音楽療法とは>

コミュニティ音楽療法はノルウェーの音楽療法士スティーゲらが提唱する「音楽療法の実践の場を病院や福祉施設などの閉ざされた空間から地域社会へと積極的に開こうとする考え方」で、「生きづらさを抱えている人たちもコミュニティと共に生きる、健康によりよく生きるための活動」です

当協会では2011年7月から訪問看護ステーションの事業「代替療法」として、世田谷区代田の秋田宅でコミュニティ音楽療法を開始し、2020年のコロナ禍以降はマモリヤマに場所を変えて2022年12月までに145回実施しました。2018年度からせたがやまちづくりファンドで地域社会活動として4年間助成金を受け、高く評価されました。また、クラウドファンディングでも多くの方々からご支援いただきました。

これまでの参加者:訪問看護対象者(神経難病、うつ病、心身症、精神障害、癌、その他)、西洋医学では治療しなかった方(夫を亡くした後の悲嘆状態)、介護者、デイサービス参加を希望しない方、健康だが孤立しがちな方など。

目的:技術の習得ではありません。大脳の賦活、身体機能維持改善、気分転換、外出の機会づくり美的体験、人生の振り返り、生活の中での楽しみ社会性の維持、介護の息抜きなど。

核家族化・超高齢化・コロナ禍で孤立する方も多くなっている昨今まったく面識が無かった方々がコミュニティ音楽療法やコンサートを通して仲間となり、新しいつながりが構築されています。

 

病名・病態   目的 音楽療法参加後の変化
失語症 言語機能回復 発語の増加、娘との豊かな時間づくり
死別後
うつ状態
グリーフケア、交流や楽しみ 歌唱やハーモニカの
上達、うつ状態改善
神経難病 妻との心の交流 歌唱が生きる目的となった 和歌作りを通じた夫婦の心の交流
精神疾患 楽しみ、生きる目的 ピアノをまた弾きたいという意欲の表出
死別後うつ状態 意欲を引き出す 回想法的音楽療法による悲嘆からの立ち直り

 

私たちのコミュニティ音楽療法が長年継続され効果を上げてきたのには、訪問看護ステーションの看護師と音楽療法士との協働が大きな要素となっています。

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訪問看護ステーションで始めたコミュニティ音楽療法

              理事・看護師・音楽療法担当   土川稔美

 

「幸せな老後とは」を求めて発足したNPOホームケアエクスパーツは、訪問看護ステーションをフィールドにして、何かを始めようとしていました。土川は、確信を持って音楽療法を提案しました。音楽療法士の丸山ひろ子の協力が約束されたからです。丸山は、「コミュニティ音楽療法」という時宜を得た素晴らしい提案をしました。当時の日本では、ほとんどが病院や施設で行われていた音楽療法でしたが、国の方針としても「コミュニティの復活」が謳われていた時期でした。

コミュニティ音楽療法」は、

A)集会型(会場に出向いていただくタイプ)、

B)訪問型(音楽療法士が、対象者のベッドサイドに訪問するタイプ)、

C)プロの演奏家との合同コンサート、の3つの形でスタートしました。

「せめて、このひととき、病気のことは忘れて下さい」の願いを込めて。家から一歩も出られない寝たきりの方への個人音楽療法も、コミュニティ音楽療法です。それは、「訪問者とつながる」「ご家族とつながる」「ヘルパーさん、支援者とつながる」、ひいては「社会参加につながる」はじめの一歩になるように願ったのです。終末期のベッド上の音楽療法も「ご家族と幸せなときでつながるコミュニティ音楽療法」です。そして、年に2回の合同コンサートは、多くの人とつながることができました。

合同コンサートで演奏してくださったプロの音楽家は、次の方々です。

 

お名前 楽 器 出演回数
菅野邦彦(世界的ジャズピアニスト) ピアノ 4
菅野邦彦トリオ  ピアノ、ベース、ドラム 2
鈴木秀太郎、セイダ夫妻 ヴァイオリン、ピアノ 2
丸山葉子 ピアノ 3
槙野義孝(元デュークエーセス) 声楽 1
田中佐知子 フルート 4
遠藤柊一郎(東京フィルハーモニー) コントラバス 2

 

11年の間に、音楽療法の形、対象者、会場などは変化しつつ、しかし、決して揺るぐことなく、トラブルもなく継続することができたのは、まさに音楽のもつ優しい大きな力でした。地域の方々の協力もえられ、自然に地域に馴染んでいくこともできました。年齢、境遇、障害の別なく、老若男女が一緒に楽しめる世界、それは、「音楽が介在するから」です。

ボランティアとして多くの方の協力をいただきました。会場として自宅を開放してくださった方、コンサートのときに車を出し荷物を運んだ方、ボイストレーナーをつとめた方、映像記録を担当した方、参加者のケア、初参加者へ気配り、会を盛り上げてくれた方、感染対策をした方、地方からケーキを届けてくれた方、経理をしてくれた方、会の進行を手伝ってくれた方、その他多くの仕事を分担してくださいました。コンサートの時には、パーティコーディネーターのように阿吽の呼吸で活躍してくれた方々、コロナ禍になり、飲食パーティーはできなくなり、一番の楽しみが奪われていることは残念でなりません。これらの方々のお蔭で豊かなコミュニティ音楽療法が実現しました。言葉にならないほど感謝の気持ちでいっぱいです。

運営は参加費(1000円)と世田谷区あるいは民間の助成金によりました。

病気や障害のある方に細心の配慮を払いました。一期一会をモットーに、そこでの情報を漏らさないようにしました。

音楽療法では、季節がテーマの曲を取り上げるなど、季節を感じることを、とくに大切に考えました。

音楽療法参加の方が後述ディグニティセラピーの文書を作成し、亡くなられた後合同コンサートで朗読をし、皆に大きな感動を与えました(「今までは遠くから拝見し、ご挨拶するくらいだったけれど、『ああ、そういう思いだったんだ』と大変身近な人になりました。」)。

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訪問看護ステーションにおけるディグニティセラピー(臨床心理士の参画を得て)

                    理事 土川稔美

 

2007年、訪問看護ステーションを設立し、活動が軌道に乗った頃、介護保険では満たされない「傾聴活動(メビウスの輪)」を、保険外活動として始めました。ご利用者が真に求めておられることは、「対話」だと気がついたからでした。その中で、傾聴ではなく自らカウンセリングを希望する方が3名おられました。当時、所長だった私は、3名のために、カウンセラーを探しました。このNPOの設立目的は、「高齢者の幸せとはなにか」を専門家集団で追求する、というものでした。訪問看護ステーションにしてはあまり例が無かったけれど、時宜にかなったことでした。当初は、スタッフとの相談、困りごとや家族臨床心理的側面からの支援などでした。カウンセリングの詳細経過を知ることはありませんでしたが、自らカウンセリングを希望された方の立ち直りなどから、心理療法の意味を体験しました。看護(理学療法士ほかを含みます)は、コミュニケーションの専門職でもあります。国の政策として、在宅医療・訪問看護ステーションの現場に心理職が配置されるのを願っています。

翌年、無藤から「ディグニティセラピーをやりたい」との申し出がありました。理事長は以前から注目していたセラピーでしたが、スタッフはまったく初めて聞く言葉でした。ですが、説明を受けるうちに、今の医療に欠けているものはこれだと思いました。そして、家庭の中こそ最高の環境ではないかと気がつき、「ぜひ、やりましょう」となりました。

スタッフは、対象者と思われるご利用者に働きかけ、橋渡しをすることが重要な役割となりました。ディグニティセラピーは、終末期ケア(余命2週以上を目安)として、カナダで確立されたセラピーですが、このステーションでは、その本質を損なうことなく、より意義深く、日本風土に馴染むやり方として始めました。臨床心理士が、初回面接で十分な聞き取りをし、希望された方の特質に合わせた進め方を考えます。私は、ディグニティセラピーを、近くで体験し、ときには、セラピー場面に同席させていただきました。その体験から、全体的に感じたことを報告します。

・ 導入に持って行くまでは、相当の配慮が必要です。スタッフとの信頼関係が確立していることが大切かと思います。語りたいことがいっぱいある方が、導入しやすい対象でしたが、本質は、「苦しみをかかえて語れない方」「もう生きていたくない」と絶望されている方にこそ必要なセラピーであると思います。なぜなら、セラピーの中で、輝いていた頃の自分に出会い、ご家族も知らなかったことなどを知ることで、本人への理解が深まりよい関係が生まれるからです。

・当訪問看護ステーションのディグニティセラピーは、この視点で進めることを組織内で合意したことは、大成功だったと思います。「死」という言葉を突きつけることなく、セラピーを受けながら、本人が覚悟をしていく作業も自然に組み込まれました。そして、人は100%死ぬのですから、すべてのご利用者が対象となります。受けなければよかったという失敗例はありませんでした。

・ 全員が大変満足されました。作られた冊子は、大切は個人情報満載ですから、所内閲覧のみですが、不思議なことに、セラピーを終えた多くのご本人、ご家族は、一人でも多くの方に見て欲しい気持ちになります。機密情報のはずなのに、どうしてこんなにオープンな気持ちになるのか不思議です。ここに本質があるのかもしれません。

・ 亡くなった後も、関係したスタッフと、ご家族といつまでも心が繋がっているように感じます。

・ 本人のためのセラピーですが、大切な方を亡くされたご家族にとっても、その後のグリーフケアになっています。ある方は「これは繰り返し読むことができる。これがあるから、あったことがわかる。これがなければ無くなるものでした」と言われました。

・日常的に怒りが強く、対応に苦慮した男性は、導入には時間がかかりましたが、セラピーを始めた頃から穏やかになりました。セラピーは、カウンセリングであり、誰にも理解されないと思っていた自分を分かってもらえたと実感されたのではないか。「私の生きざまを証明してくれて、ありがとう」と、深々と頭を下げられました。1年後、遺影は、晴れやかな笑顔でした。

・ご主人亡き後、時間をかけて事務所まで通ってディグニティセラピーを受けた方がおられました。何度か立ち話をしましたが、出来上がった文書を見て雷に打たれたように感じました。軽く聞いていた話の本質は、こういうことだったのかと。家族を護りつつ地域の子どものために自宅を解放し、心身障害を持つ方に尽くされた信仰の道が謙虚に語られていました。亡くなる少し前、地域の在宅医療体制になったとき、事務所に電話があり、私が対応しました。心の内を語られたことが胸に刺さりました。「私は、もう以前のようではなくなりました。訪問看護にもお世話になり、どんどん国の政策に組みこまれていくのだと感じています。でも私には、ディグニティがあるから」と。セラピーの文書が、彼女を支え続けたのです。ご逝去後にご家族が送別の記録のご本を作られました。その中に、ディグニティセラピーで作られた冊子がそのまま採録され、関係者の方々に届けられました。

・ Aさんは、物心両面でNPOの大恩人です。神経難病の進行(気管切開・胃瘻)を、悠然と受け止めたAさんのベッドは、在宅看護、介護の研修の場となり、大勢の専門職がお世話になりました。Aさんは、最期の日まで音楽療法に参加、声が出てないはずでしたが彼の歌は聞こえました。ディグニティセラピーは、事前に気道の浄化・発声をして臨み、嬉しそうでした。言葉を発するは大変難しかったのですが、堂々とした態度で、その場を楽しんでおられました。妻のサポートもあり、声を発する間(ま)、表情、態度からの文脈を感じました。通常の人間関係より深いところの響き合いがあったのでしょう。終了後は毎回とても穏やかだったそうです。出来上がった冊子を見ると、Aさんが目の前に現れるようでした。思い出の写真も配置された冊子を見て、本当に喜ばれ、最期のその日まで、何度も読んで聞かせたそうです。逝かれて2ヶ月目に、メモリアルコンサートをしました。ディグニティセラピー文書を、朗読ボランティアの今村なみ江さん、美川綾子さんに朗読していただきました。音楽療法士の丸山先生がAさんのお気に入り曲を静かに演奏し、愛唱歌のムーンリバーを参加者みんなで歌いました。60名の参加者から多くの反響がありました。一部紹介しますと、「生前、いつもお会いしていたのに、お人柄をこんなに近く感じたのは初めてです」「こういう制度があったんですね、病気の人だけでなく普通の人にも、こういう制度があれば、どんなにいいかと思いました」ほか、たくさんの声がありました。もちろん病気でない方もディグニティセラピーをお受けください。

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ディグニティセラピーとNPO活動(長寿型ディグニティセラピーという試みから)

理事・臨床心理士  無藤清子

 NPOの特集にあたって、心理カウンセリングの活動(カウンセリングとディグニティセラピー)から、ディグニティセラピーに焦点を当ててご報告します。本ステーションでは、『自分の人生を語って 今を生きる』、または『若い人たちへの手紙』というプログラム名にしています。ご本人はもちろん、関わる皆さまにとって意味あるものになりますよう願って取り組んできました。入職した翌年の2015年からの11人の方々との経験から「長寿型ディグニティセラピー」と呼んでみたいと考えるようになっていて、そのことにもふれたいと思います。

なお、そもそも在宅療養中の方が住んでいる“家”とは、自分自身が主人公の、おひとりお一人の人生・生活の現場です。ですから、ドアをノックしてその中へと招き入れて頂ける私たちは、ともすれば人が“一患者”となりがちな病院のような環境でお会いするよりも、各段に恵まれているはずです。だからこそできること・だからこそしたいことがあって、ディグニティセラピーでも取り組んできました。NPOの他の活動もご紹介しながら、共に実現しようとしてきたことについて言葉にできればと思います。

 

■ディグニティセラピーとは

人は皆、人生の最後まで生活といのちの質が保たれて、自分らしくあることを望んでいます。けれど、厳しい病状に直面したり、周囲との関係の難しさを改めて痛感したり、さまざまなことに見舞われて、人生を問い直すこともあります。そういう困難な状況にいる方や、訪問医療・看護・介護を利用しながら家で暮らしている方々は、どういうことを必要としているのでしょうか? ディグニティセラピーは、人生の最後が迫ってくる中で人生に意味を感じにくくなって苦しんでいる人のために、緩和医療の精神科医チョチノフ(Chochinov, H.M. )が開発したセラピーです(ディグニティは“尊厳”です)。

セラピーの進め方は、まず、インタビューして質問し、自分が生き生きしていた頃のことや、してきたことを振り返りながら、【これまで自分がどういうことを大切にして生きてきているのか、大切な考え・気持ち・願い】について語ってもらい、耳を傾けます。インタビューのもう一つのテーマは、【大切な人たちに、自分をどのような人として憶えておいてほしいか、その人たちへの希望や伝えておきたいこと】です。チョチノフはこう言っています。「全ての患者が、ディグニティセラピーによって、語るべきストーリー、共有すべき洞察、そして次世代に遺したい思い出や願いをもっている」、「一見『普通の人生』が特別なものになるのは、私たちが時間を割いて、それを念入りに眺める時である」と。私も本当にそう思っています。ここで出会ったどの方も、語るにつれて、その人生が特別なものだということが露わになり、ご自身にもそう感じられてきます。

次に、【一緒に文書を作っていく】のが、このセラピーの大きな特徴です。インタビューを録音し逐語録から編集して、その方の言葉から“生成継承性文書”を作成します。本ステーションでは “ディグニティ文書”と呼んで、冊子に簡易製本しています。これをご本人が大切な人たちに手渡すところまでがセラピーなのです。そのため、別名“大切なひとたちへの手紙”とも言われています。チョチノフは、「(逝去後にも遺る文書を作成して)永続性に手を貸すことは、“今ここ”を超えて広く、そして多世代にわたる聴衆へと、言葉が開かれる可能性を創造することだ。『あなたの言葉は時を超え、あなたが亡くなった後にも共鳴する』…」と言っています。

ディグニティセラピーは、人生の意味が再確認されて、実存的な苦悩が和らいで、今とこれからの穏やかな時間につながるものです。“かけがえない私が今を生きている”と感じて、心穏やかに日々を過ごすために、そして、人生の最期まで尊厳をもって生きるために、助けとなるセラピーだと実感してきました。その上、ご家族など周囲の人たちにとっても、お互いのやりとりが深まったり、ご逝去後のグリーフケアとしても意味があるものとなっています。これまでスタッフの方たちと共に取り組んできて、訪問看護ステーションでディグニティセラピーをすることには意味がある、と考えています。自分が人生で大切にしてきたことを語り耳を傾けられる時間そのもの、その語りを聴く耳を持つ人が“今ここに居る”ということ、が切望されてきたと感じるからです。また、自分が現れている文書冊子が形をもって確かにそこに在ることには、揺るぎない力があると感じるからです。ただ、このようなご本人にとっての意味の詳細については別の機会に譲り、ここでは、ディグニティ文書から波及する人と人との“響き合い”を主にお話したいと思います。

 

■どういう期待をもってディグニティセラピーをしようと思われたのか

ディグニティセラピーに取り組んだ方たちがこれをしてみようと思われたのは、どのような期待からか、それを各ディグニティ文書の冒頭の「はじめに」に載せています。その内容は、大きく2つにまとまるように思われます。

まずは【自分の人生・大切にしていることを、人に伝えたい・遺したい】という意図・願いです。これには、いろいろな意味がありそうです。

(1)〔自分が生きた証をのこしたい〕―「自分の人生はこんなふうだったと知ってもらいたい」、「死んだ後に本当のことが伝わるように、自分がやってきた“事実”を書いておきたい」など。

(2)〔自分が人生から学んだことを伝えたい〕―「私が経験から学んだことを遺して、それが何かの役に立つなら、人生の恩返しになるなら、嬉しいと思います」、「戦前・戦中・戦争直後のことを、若い人たち・今の人たちに伝えたい」「戦争はダメよ、と言いたい」など。

(3)〔感謝と別れを告げてから旅立ちたい〕―「周りの人たちへの感謝の気持ちを言い遺してから逝きたい。」「ずっと見守っていると伝えたい」、「生前葬をして配りたい」など。

(4)〔今に活かしたい〕―「(家族やケアチームに)今、自分がどういうことを思っているのか知らせるのもいいかなと」。

第2に、【人生におけるこの時期だからこそ、これをしてみたい】という思いが語られました。

「年をとって、まとまりがつかなくなって、自分でまとめるのが無理になった。だから、やってみようと思ったんだ」、「今、私も家族もいまだかつてない大きな変化の中にいます。前と違う辛さがあるんです。今私がどんなことを考えているか話すことには、何か意味があるのではないかな、と思って」など。

このような期待は満たされたとお見受けします。「してみよう!」と決める時点は、何かが動き出す特別な瞬間です。ここに立ち会わせて頂けるのは大きな特権・恵みだと感じ、ディグニティセラピーにかける想いに応えたいと願って取り組んでいます。

 

■ディグニティ文書の使われ方と反響

〇ご存命中には、ご本人の心の支えとなり、また、ご家族や友人たちとをつなぐものとなりました。

(a)手元に置いて、繰り返し眺める・読む。

(b)家族、友人、カウンセラーや訪問スタッフが朗読する。―音読する文や段落ごとに「あたし、すごいこと言っちゃってるわね!でも、ほんとにそう」など、よく感嘆声をあげられる。

(c) 家族や訪問スタッフなどと話す素材になる。ご本人が読んだり説明したりして一緒に味わう。

(d)親戚や、所属グループのメンバーに、配布・回覧される。―発刊お祝の言葉や、心のこもった感想が寄せられた。

(e)訪問チームや通院先や入院先などの専門職に配布される。―ご本人についての理解がさらに深まったり、チームが文字通りケアに活かしたこともあった。

〇ご逝去後も、読み継がれ、大切にされています。

(f)納棺される。

(g)葬儀参列者や弔問客などに配布・回覧される。

(h)ご家族で読み合わせる。

(i)文書に故人の絵を挿入・再編集して配布、ブログにアップしたご家族がおられた。

(j)ご家族が、思いを綴って配布された追悼文集にディグニティ文書が採録されたことがある。

(k)多くの方たちの前で朗読されることがある。故人が参加していたNPO音楽療法での追悼コンサートで。また他の方では、故人の人生の基盤だった宗教の集会で。

このような機会を通して、読者や聴衆から言葉や手紙で、ご本人とご家族の生きる姿への理解・共感と敬意の念や、読者自身の人生や生死への思いとの共鳴が寄せられました。

ディグニティ文書が在って、そこにその方の生きざまと、大切な人たちへの想いがあることからディグニティ文書が、ご本人と家族・友人・関係専門職の皆さんに大切にされて、お互いの間をつないでいることが見て取れます。また、それを読んだ人たちの心に響き共鳴が起きています。このようなこと全てがあいまって、ご逝去後のご家族にとってグリーフケアともなっています(「できた当初は、別れが近いことをどうしても感じてしまっていたけれど、今は、これがあることで心が癒やされる」など)。

 

■「長寿型ディグニティセラピー」の試みの展開可能性

上記の“人生でのこの時期だからこそ、今私がどんなことを考えているか話すことには、何か意味があるのではないか”ということがありました。それに関連して、病いを抱えてはいても、まだ時間・体力・気力などの余地があるうちに取り組むことには、大きなメリットがあると考えています。実は、ディグニティセラピーの適用基準の一つに、生命予後が2週間以上ということがあります。切迫している方への緩和ケア的な利用が想定されます。他方、本ステーションでは、もっと時間や体力・気力があるうちにお勧めして実施しています。既に亡くなった方々については、文書完成からご逝去までの期間は、11日~1か月半と短い方もおられましたが、4年以上など年単位の方が多いのです。体力・気力にゆとりあるうちから取り組むため、ディグニティ文書の編集案の内容や文言について、心ゆくまで一緒に検討することができます。結果として冊子の形になるくらいの内容となり、言いたいことを充分に表現できた(「99.9%満足です!」)とご本人が感じるようなものが完成します。ある方は、ディグニティセラピー終了後数か月のお手紙で「なんと時宜を得たことだったのか。今だったらとてもできなかったと思います」と書かれました。このようにタイミングを見てお勧めできるのも、長く関わることのできる訪問看護ステーションならではだと思います。

<長寿型ディグニティセラピー>と呼べるのではないかと考えているところです。ディグニティセラピー開始時の年齢は、本ステーションでは65~96歳です(平均85.9歳)。11人中85歳以上が8人で、うち4人が90代でした。かなり高齢と言えます。超高齢社会で今後ますます在宅で暮らす高齢の方が増えていくことでしょう。病いやフレイルの影響を受けながらも、自分らしく心穏やかに日々を送るために、また、周囲の人々に理解され・対話しながらいろいろな意思決定をしていくために、ディグニティセラピーを活用できるのではと考えています。実際、ディグニティセラピー終了後に、差し迫った意思決定のための面接をとお声がかかったこともありました。

ディグニティ文書によってご本人への理解が深まり、ACP(アドバンス・ケア・プランニング、厚労省による“人生会議”)にも役立てると考えています。医療やケアについてのご本人の前もっての意向は、ある時点での考えが確定的なものというわけではなく、繰り返し話し合われて共有されていきます。そのようなプロセスの根底にあるその方への理解に、ディグニティ文書が貢献できる面があると思います。訪問看護ステーションでのディグニティセラピーの実践は、運用実務面やシステム的な検討課題は山積みですが、活用可能性を探究する意味があるのではないかと考えています。

 

■所内で共に探究していく方向を

ディグニティセラピーは、スタッフの方達からのたくさんのサポートを受けてはじめて成り立つセラピーです。通常のケアの中でご利用者に勧める時、いろいろな検討・配慮・労力・心のエネルギーを傾けてくれていることに、いつもとてもありがたく感じています。これまで、私の仕事のコーディネーターの土川看護師を中心に、看護師・理学療法士・医師などが利用者様につないでくれて、さらに、他の訪問スタッフたちもサポートしてくれました。例えば、面接前に呼吸器や更衣などのケアをしてくれたり。ディグニティについてこんなことをおっしゃっていた、今日のご様子はこうだった、ご家族がこうおっしゃっていた、など伝えてくれたり。ご本人をサポートしてくれたり(例えば、始めると決めたけれど迷いが出てきた方へ「辞めたくなったらいつでもやめられますよ~。気楽に試してみてもいいかもしれない」など)。一緒に考えられるのでとても助かります。

さて、ディグニティ文書の所内閲覧や、所内研修でディグニティセラピーが4回取り上げられたこともあって、以前はどのスタッフもディグニティセラピーについて知ってくれていて、自分の感想と考えを持っていました。そういう中から、ディグニティ勉強会が開かれていたこともありました。また、協働の取り組みとしては、土川看護師と一緒に面接したり、渡邉理学療法士と一緒に面接やディグニティ文書の編集をしたり、また、ある方の訪問スタッフ皆で毎回、逐語録を使った編集会議をしたりしたことがあります。最近は、このように一緒に活動して展開の方向を探る動きを十分にはできていませんが、今後また、めざしていきたいと思っています。

■NPOの他の活動と共に

記念特集ですので、ディグニティセラピーの現場から見えたNPOの他の活動にも少しふれたいと思います。

(A)音楽療法でのメモリアルコンサート

私にとって、Aご夫妻との、面接中の体験とディグニティ文書にあらわれたかけがえなさは、このセラピーに打ち込む大きなきっかけとなりました。さらに、読者・聴衆の方たち、コミュニティの一人一人が、ご自身の死生観や社会観までも含めて共鳴していること、それを言葉で伝えてくれること、そして、そこにある響き合いは、ディグニティ文書がもつ大きな力に目を開かれた経験でした。

(B)傾聴活動(「メビウスの輪」)

NPOの傾聴活動の中でも、ディグニティ文書が活かされていました。Kさまのためのミニデイサービス「サロン・ランチョン」をご紹介します。

これは、ディグニティセラピー後5ヶ月ほど経った頃、デイサービスにいらっしゃれない状況にあったK様を送迎して、事務所でNPOの傾聴ボランティア(「メビウスの輪」)の岡島日出子さんがお会いしたものです。岡島さんは、看護師の仕事を退かれてから、NPOで高齢の方たちの傾聴活動をしていました。K様とは、亡くなる2か月前まで全部で6回でした。話されていたテーマには、ディグニティ文書に書かれていたことも反映していました。お互いに同時代を生き抜いてきた者同士ならではの共感があるように見受けました。なお、下肢などの機能訓練、腹式呼吸、浮腫んだ下肢のマッサージなど、看護師ならではのケアもされていました。対話する岡島さんの姿勢の、絶妙な節度ある入り込み方や、自然に表れ出てくるK様への敬意には、大変感銘を受けました。

さて、土川看護師の手作り料理に、岡島さんも緑葉を美しくあしらっただし巻き卵を差し入れてのランチです。K様は綺麗な箸さばきで丁寧に味わって完食なさいました。青山理事との将棋も楽しまれました。元々紳士の服飾関係の仕事をされていたこともあって、素敵ないでたちで来られ、帽子や洋服生地についても説明して下さいました。他の仕事で出入りする私や他のスタッフ達や酒井理事長とも言葉を交わされて、「サロン・ランチョン」はKさまにとって、カスタムメイドのミニデイサービスであり、同時に大事な“普通の”社交のひとときでもあったかと想像します。繰り返し「ありがたい」とおっしゃり、また、ハレの日、心地よい空間に居る、と感じておられるようで、「至福の刻(とき)」だと岡島さんにおっしゃいました。至福の刻とは、「どんな小さなことでも日々の暮らしの中で美しいもの・感動したことに思いを巡らすこと」とのことです。岡島さんも後に土川看護師とスタッフ達宛の手紙に、傾聴活動について、「すぐれた人生の先達との出会い。人生の豊かさ、面白さ、尊さ、強さ、儚さ、やさしさ、もろさ、…触れることができて幸せです」と書かれています。

このサロンは、訪問担当だった山内看護師とNPO保険外活動コーディネーターの土川看護師が中心になって企画・実現したものでした。こういうことをしたい!いいね、やってみよう!どういうふうにしようか?と話が進む、自由で伸びやかな事務所の空気と共に、K様の「なんとも言えず…なんですよ~」とおっしゃる時の、やわらかくあたたかな口調と微笑みが、ありありとよみがえってきます。

(C)NPOとしての訪問

ある方のディグニティセラピー終了後しばらくして、安全な生活のための環境整備のお手伝いをきっかけに、土川看護師がNPOとして訪問をしました。一人暮らしの方が自分らしい暮らしを全うするにはどういうことが必要なのか一緒に研究しませんか、というお誘いに、ご本人は気が進まれていました。訪問の度に「こうして話を聞いてくれるのが、本当に嬉しいんだ」と、何度も何度も言われたとのことです。この「NPOとしての訪問」からわかったことは、“一番渇望しているのは、対話だ”ということでした。

 

■このNPO/訪問看護ステーションにいて思うこと

人の生死に関わる大変な現場だと改めて覚悟して、9年近く前に入職した当初、ここには得も言われぬ妙なるものがある!と感じました。私が訪問看護を受ける時にはここにお願いしたい、区域外なのが本当に残念、と思いました。どういうところから、そう感じたのでしょうか?

後の2018年に利用者様への満足度アンケートが行われました。接遇(丁寧で適切なケア、わかりやすい説明や尋ねやすさ、本人や家族の話をよく聞く、など)に関する項目の満足度はとても高かったのです。それ以外に私が注目したのは、次のことです。「本人が大切にされ尊重されていると感じる」「『来てもらえると安心できる』と感じる」などの項目も高くなっていること。そして、自由記述欄にも、ご本人からの信頼などに加えて、“心からの”対応への感謝、誠実な良い人に“めぐり逢えた”と喜んでいる、スタッフの“人間性”に学ぶこと多い、生活の励みにして訪問を心待ちにしている、などがありました(“ ”は筆者が挿入)。専門的ケアを提供することに加えて、ひとりの人間同士としての関係性がここにはある、そして、日頃私が感じていることは、このような回答と関係あるかもしれない、と思いました。日頃、同僚と一緒に訪問したり、ご利用者のことで一緒に考えたりする機会を通じても、感じていたことがありました。専門性を最大限発揮して接してケアすることと、ひとりの人間同士として向き合い・関わり合うこと、ここではその二つが無理なく自然に共存している、と感じていたのです。これは当たり前のことのようでいて、前者が“役割”になったときには“ケアする存在”と“ケアされる存在”の関係になり、ひとりの人間同士としての関係性が後景に退きがちで、逆に後者が強くなりすぎることでの弊害もありえます。このような中でどこにどのように身を置けるのか、そこにこそ専門職の専門性があると私は考えています。

さて、このNPOの理念は「医療・介護保険では賄えないさまざまなサービスを提供し、豊かな晩年の実現を支援したい」ということです。この「豊かな」の根幹には、人の尊厳をお互いに大切にする、ひとりの人同士として関係する・対話するということがあると思っています。言葉足らずですし、まだ考え中のことなのですが、人の尊厳は、その人が何ができるかできないかということには依存しないものだ、また、生活の具体的細部でこそ、人の人に対する敬意が表現されることによって、人の尊厳が成り立っている、と考えています。尊厳が、生まれながら与えられているものではなく、実現すべき目標であるとするならば、ディグニティセラピーとディグニティ文書は、そのような目標に向けて、関係性やコミュニティを支えてくれるものだ、と思うのです。
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