10周年に寄せて

 当NPOを設立して10年が経ちました。 10年ひと昔といいますが、昔というより時間の経過は早く感じられます。大学にいたころ「外科と栄養学」というテーマで研究をしていました。あまり流行らない分野で道筋も読めませんでした。当時の指導教授が「どんなことでも10年間続けてやっていれば一流になりますよ」と励ましてくれたことを思い出します。私は、ユニークな経腸栄養剤を開発して、それなりの成果を得ました。

 

広く求められている高齢者とがんや難病等の患者の在宅療養が、少しでも円滑に実施されるために、地域を基盤と私たちのNPO10年を経てどうでしょうか。まず、設立趣旨から初心を振り返ってみます。エッセンスは「…いま社会でする…専門家による協会を設立し、…人々のヒューマンな晩年の実現に力を貸したい」とあります。10年という歳月を経ましたが、趣旨は抽象的なのでこのままの考えを今後も維持して差支えないと思います。ところで、このことは成果を上げたでしょうか。私は不十分ではあっても成果を上げたし、手応えも感じています。ケアを受ける皆さんが実質的に求めているものの輪郭が見えてきたように思います。この輪郭を明確化し、具体化することが今後の展望です。

 

私たちはさまざまな活動をしてきました。訪問看護ステーション、アロマセラピー、音楽療法、誤嚥療法、心理カウンセリング、傾聴、医療・看護・福祉相談、法律相談などです。これらを個々に振り返り、整理して今後の展開に具体策を創っていきたいと思います。それぞれ関心のある分野で、皆さんの実際的な知恵、アイディア、いわば、先ごろ亡くなられた哲学者の

中村雄二郎氏の「臨床の知」をぜひいただきたいと思います。

 

私なり10年間、活動に携わりながら、また、考えてきたなかで今後の指針になるようなヒントをあげてみたいと思います。「ケア」や「コミュニティ」について思考し多くの著書を著わした広井良典氏は、英国の社会経済学者のA・ギデンズから引用しています。少し長くなりますが見てみます。「英国の経済学者W・ベバリッジは『社会保険等のサービスに関する報告(1942)』のなかで、不足、病気、無知、不潔、怠惰にたいして宣戦布告したのは有名な逸話である。要するに彼が宣戦布告したのはネガティブなものばかりである。ポジティブ・ウェルフェアは、これからの福祉のあり方なのである。…ウェルフェアとはもともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表わす心理的な概念である。したがって、経済的給付や優遇措置だけではウェルフェアを達成できない。…福祉のための諸制度は経済的ベネフィットだけでなく、心理的ベネフィットを増進することをも心がけなければならない。ごくありふれた例を挙げると、お金で支援するよりも、カウンセリングの方がずっと有効な場合がありうる」。広井氏はギデンズの「こうした把握は…人々を事後的に救済するという対応のみならず、個人を最初からコミュニティにつないでゆくといった事前的な対応を重視するという方向とも、つながるだろう」と述べています。また「コミュニティ」を歴史あるいは社会の巨視的な変遷のなかで、人と人の関係性のあり方の見直し、相互関係という意味での「ケア」という視点から、現代の核心的な課題である、と主張していますが、広井氏の洞察はともかく、私たちの現実のなかで「コミュニティ」がどのような具体性をもつのか、後に考えてみたいと思います。私たちの組織もこれまでいくつかの葛藤がありました。組織を大きくして経済的な効率を上げようとする意見もありました。しかし訪問看護ステーションを例にとれば、看護・ケアの質を優先して確保することを目標にしています。経済の競争原理、金銭的な成果主義が唱えられる風潮に抗うには抵抗もあります。最近の佐伯啓思氏の論評で、100年前W・シュペングラーの著書「西洋の没落」を取りあげ、時代を象徴している世界都市、数字(統計など)、金融、技術は「文明」ではあるが「文化」ではないと指摘し、シュペングラーの主張は現代の文化の衰退を言い当てていると述べています。競争や効率を合理的科学として推進した結果、並外れた格差や貧困を生んで、現今の世界の混乱と不幸を助長しています。原子力に依存する世界も文明の象徴といえます。私は俳句をやるわけではありませんが、年初、なにかのはずみで「文明は 迷妄とせよ 歳旦戒」とメモし、友人が匿名で句会に示したところ、理屈っぽいと切り捨てられたそうです。私も、詩がないなあと思いました。しかし、奇しくも上述の内容と重なります。

 

もう一句、新聞の俳壇に「老いという 泉に耳を 澄ましけり」(岡崎某、長谷川櫂選) がありました。私たちの活動は広い意味で高齢者のケアに当たっているのですが、つきつめてゆけば「老い」という問題に向合っているともいえます。また、「死」に向合うことでもあります。それがこの句の心境であり、泉を「こぽ」と聴くのか、あるいは無言のまま湧き出す水の神秘的な縞模様を見つめるか、どちらでしょうか。耳とあるから聴くともいえますが、視覚もふくまれているようにも感じます。この比喩は「老いとは」という哲学的な問いともいえますが、人生を振り返っている場面とするが自然です。いずれにせよ、老いた人は「老い」を感じ、句にしたり、文にしたり、誰かに伝えたりします。心に去来することを表出しない方も多いと思いますが、いずれかの形で表出することは、小熊英二氏の父親の聞き取りをまとめた「生きて帰ってきた男(岩波新書)」を見ると、実に意義があることだと感じます。彼の父親の場合は、よい聞き手が近くにいて聞き取りを企画した、という幸運にめぐまれたのですが、多くの人が経験や気持ちを表現することを求めていることは間違いないと思います。そのことに自ら気付いて行動できればよいのですが、経験や記憶は相互関係のなかで成立し、意味をもつものであり、たとえ一人で何かを書き綴る場合でも読み手、聞き手を想定しています。死に向き合ったときの心構えについて、哲学者の加藤尚武氏は次のようなことを述べています。「私が、この宇宙の中に発生した生命の流れという大きな歴史の中の一粒であり、私が消滅しても、その流れそのものはつながってゆく。自分が、この生命の流れの中の一こまを受け持ったということを詩にする、短歌、俳句にする。スケッチに残す。死に近づく日々を彩るのは、美しい思い出である。思い出を保存する方法は、作品にすることである」人は社会的存在であり、他者との関係のなかで自らの生を意味づけている以上、作品も受け手を想定しているはずです。

 

私たちが「高齢者の豊かな晩年の実現に力を貸したい」といったとき、隠されていてあまりよく見えないコミュニケーションの相互関係(話し手→聞き手という一方通行ではなく)を演出することが求められるのではないか、と思います。これは私たちの臨床心理士の無藤清子さんが日ごろ話しているケアにおけるケアする側と受け手との関係と相似形です。双方にとって果実があることを念頭に、場を演出し、これをコミュニティのひとつの実体として理解すべきでしょう。

もうひとつ、「コミュニティ」の具体的な媒体として、協会の「ニューズレター」を考えたいと思います。これまで、ニューズレターは主にスタッフが原稿を書き、NPOの活動や経営収支などを掲載してきました。NPOの会員や支援者にお送りしてNPOの理解を進めることが主眼でした。よく考えてみると、ニューズレターをコミュニティの媒体として役立てることができるのではないか、それには会員や支援者に原稿を寄せていただき、情報の交換を通じて相互の理解が広がり、コミュニティのプラットフォームになるのではないかと思いました。雑誌などが編集者と読者の関係で成立しているのにたいし、俳句誌や文学の同人誌が、会員の参加で、俳句仲間、文学仲間の媒体となっているように、ニューズレターが協会の皆さまの交流の場所になり、言葉の広場となって、コミュニティのひとつの姿になると思ったのです。これからもコミュニティの活性化や拡大に役立つような実際的な知恵(編集方法、体裁など)について、お考えがありましたらお寄せください。

2017616
特定非営利活動法人 ホームケアエクスパーツ協会
理事長 酒井忠昭

認定特定非営利活動法人になりました

理事長 酒井忠昭

昨年のクリスマスイブ、1224日に東京都から認定NPOとしての認証を受けました。設立から8年半経ち、平坦な道のりではありませんでしたが、社会的評価をいただいたと思っています。当局に活動全体を理解されているとは思いませんが、多くの方の支援をいただいている(一定額のご寄付を2年間に200名以上の方から寄せられることが要件のひとつ)こと、活動計算書をはじめ、各種書類がオープンで正確であったことが認められました。

 

全国には約5万のNPOがあります。このうち認定を得ているのは500ほどです。認定をえると、その団体に寄せられた寄付や遺産が優遇税制の対象になります。つまり、社会は認定NPOに税金の配分先と同等の公共性を認めているわけです。結果として、その団体は社会的信頼をえますし、相応の活動を期待されます。私たちはどのように活動すればよいのでしょうか。

 

私たちの活動の中心に訪問看護ステーションがあります。訪問看護ステーションを運営しているNPO法人が認定を得ようとするのは、その団体が訪問看護以外の活動を行っていて、その活動に一定の資金と、多くの支援が必要な場合になります。

 

私たちは、訪問看護ステーション活動は無論ですが、訪問看護以外の活動を整理し、拡充させ皆さまに理解していただかなければならないと思います。

 

私たちは、独居の多い高齢者の心理的な負担を和らげるために、音楽療法、アロマセラピー、心理カウンセリング、傾聴活動、セカンドオピニオンの提供、権利擁護活動などを行ってまいりました。これらを拡充するためには、ニーズを把握し対応しなければなりません。

 

これらにたいする高齢者のニーズは決して少なくないと思います。しかし、これまでの高齢者への福祉はお仕着せで、足りない部分を補うことに終始していました(たとえば、病気の治療など。しかし高齢者は病気治療で若い頃のようになるわけではありませんし、満足もしません)。また、高齢者の側は私たちの活動のようなサービスを知りませんし、自分から何かを求める積極性もありません(美徳)でした。したがって、はじめは訪問看護の現場で看護師、療法士らがニーズを察知して助言する必要があります。訪問看護の目標は、利用者の生活を全体的に理解、把握し援助することですから、あるセラピーへの勧誘や助言を提供することは、専門職の仕事の重要な一部だと思います(高齢者の過半が陥っているといわれる「うつ」から救うひとつの方法だと思います)。訪問看護を、私たちの活動への誘導の現場と考えるのは、現在のところ、その他の方法では、専門職が高齢者をトータルに、また機微に及んで把握することが困難であることから、他では得られない状況だと思います。したがって私たちのNPOが認定を受けて、活動の拡充を図るとき、この点に焦点を当てることは意義のあることで、自分たちでしかできない「新しい公共」のモデルたりうるのではないかとさえ考えます。

 

ところで、私たちの活動にたいするニーズを見出すことと、対応する専門家の仕事と時間を確保することは車の両輪でなくてはならないと思っています。相応の待遇の拡充も必要ですから、会員の方々やご支援の方々ばかりでなく、広く活動のご理解をいただかねばなりません(広報活動の拡充)。

 

最近、「クラウドファンディング(不特定多数による基金調達)」という方法を知りました。一定のプロジェクトを設定し、金額と期間を決め、ネットや新聞にアップします。プロバイダーには集まった基金の1020%を支払います。現実に、アフリカの子供たちにアートセラピーを提供するために3か月間150万円のプロジェクトが動いていて、ほぼ目標を達成していました(201618日まで)。皆さん(ネットにアクセスする人が多いので若い方が多いことを念頭に)に理解しやすいプロジェクトを企画する、高齢者と若い方の接点を見つける(たとえば、祖父、祖母に教えたいサービス)など難しい点はありますが、検討に値すると思っています。

 

新しい年は、認定団体としての活動の初年となります。

 

福祉とNPO活動

私たちは、現在の社会で福祉(ウェルフェア)をいかに考えたらよいでしょうか。前提は経済成長が終焉に直面し、資源が枯渇に向かい、環境が劣化しつつあるという困難な社会的状況です。これまでは、国家福祉といわれるように、福祉は公的に賄われると考えられていました。しかし、福祉に向けられる国の予算が削減されるなかで、福祉の価値は個人的な判断に依存するという本質があり、また、ケアがその典型であるように、ひとと人との関係に根ざすものであることを思うとき、制度に頼るばかりでなく、自助、互助(近年、「新しい公共」といわれることもある)により、自分たちの手で達成することに意味があると考えました。今後、福祉は社会福祉、地域福祉が主役になってゆくべきでしょう。

 

福祉を担う組織は地域を基盤とし、行政組織、地域組織、その他関係機関と密に連携を取りながら活動を遂行する必要があります。目的を共有し、情報を交換し、物心両面で相互に力を得ながら進めるために、私たちは特定非営利活動法人(NPO)が適切な活動の足場と判断しました。福祉を実施するには資金の裏付けも必要です。そこには公的な給付ばかりでなく、活動に賛同する方々からの寄付や自ら負担することも含まれるでしょう。そして事業の運営やサービスの提供は、現場の事情に精通したNPOが主導あるいは調整して行います。

 

これまで高齢者の福祉については、セーフティネットを整えることに主眼がおかれてきました。つまり病気になれば医療保険、障害がでれば介護保険、困窮すれば生活保護といったネガティブな状態からの回復を考えてきました。しかし、ウェルフェアとはもともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表す心理的な概念です。経済的ベネフィットだけでなく、心理的なベネフィットを増進することがウェルフェアにとって有効な場合が多いと思います。つまり身体的な回復とは異なるポジティブウェルフェアの考え方です。私たちはこの点に注目し、医療・介護保険では賄えない、さまざまなサービスを提供し、豊かな晩年の実現を支援したいと考えます。

 

以上のような趣旨で特定非営利活動法人(NPO)を設立し、活動をしてまいりました。今後の具体的な企画は、その都度ご連絡いたします。ご理解いただき、ご協力、ご支援をいただきたいと思います。

 

2013年8月

特定非営利活動法人ホームケアエクスパーツ協会

理事長 酒井忠昭

私たちの目標

 20074月、私たちは、ホームケアエクスパーツ協会を設立しました。高齢者の療養形態が、病院から在宅にシフトし始めた頃でした。ややもすると、安易に再入院に頼りがちなケアの実態がありました。在宅での療養の継続を、優れたケアの提供により支援することで、高齢者や療養者が、自らが生活の主役であることを維持してヒューマンな晩年を過ごせるようにと願ってのことでした。そのためには、在宅療養を支援する方法と優れた専門家の存在が欠かせません。当協会は、訪問看護ステーションしもきたざわを運営し、地域に看護とリハビリのサービスを提供すると同時に、ケアの質の向上を図る研究と専門家育成を目標に活動してまいりました。

 

ところで、ヒューマンな晩年と一言でいっても、これは何を意味するのでしょう。高齢者の多くは病気や障害を抱え、医療や介護の助けを借りて回復を目指しますが、病気がなかったころの状態に戻ることは困難です。むしろ加齢による衰えの進行に抗しがたいのが現実かもしれません。また、年齢による差別(エイジズム)、殊に経済成長を前提にして、生産性が低下した世代を軽視する風潮がありますが、与してよいものでしょうか。このような考えは、年齢、性別等にかかわりなく享受されるべき福祉を阻害します。

 

時代を大きく区分し、縄文、弥生時代 その後の時代の3区分としましょう。それぞれについて、更に、成長、減速、定常の時代の3区分を考えましょう。われわれの住むこの時代は、地球の資源の観点で、「限りない経済成長」の限界に達し、すでに「定常期」に差し掛かっているという見方があります。広井良典(千葉大学法経学部教授)さんのような人は、これから人々は、「定常期」にあっては、単に、経済性のみに着目するのではなく、関係性(人間活動の諸要素間の関係、それぞれにおける充足感=幸福との関係等)を判断の拠りどころにすべきだと主張しています。私も同感です。高齢者のヒューマンな晩年も、関係性をキーワードに拓かれていくでしょう。人とひととの間を結ぶ絆、「つながり」が織りなす関係性の織物: 対話、交流、協働、傾聴、教育、芸術、趣味、娯楽、旅行、スポーツなど多様な分野で進む時間と空間の共有関係、経済的ベネフィットだけではない、心理的ベネフィット、すなわち充足感や満足感の増進が図られるべきでしょう。

 

私たちは、これらの世代に共通して享受されるべきベネフィットが、高齢者にも、療養者にも届くよう、NPOでこそ、場や機会を提供できることだと考えています。これまでに音楽療法、アロマセラピー、心理カウンセリング、講演会、落語会、ピラティスなどを企画・実施してまいりました。これからも地域の方々、ご賛同いただける方々の力や知恵をお借りしながら、活動を広げたいと考えております。

 

私たちの取り組みに皆さまのご支援をぜひお願いしたいと存じます。

 

2013715
特定非営利活動法人 ホームケアエクスパーツ協会
理事長 酒井忠昭