石飛幸三氏講演会・討論会

「平穏死という言葉が生まれたわけ ―望ましい最期を迎えるために― 」

2013年12月7日、国士舘大学梅ヶ丘校舎において、第7回講演会・討論会を開催しました。80名を超えるご参加をいただき、基調講演のテーマをめぐって、参加者の体験・現況を踏まえて活発に意見交換しました。

講師は、特別養護老人ホームで、長寿の方々の医療に携わり、そこでの経験を纏められ、ベストセラー著述家として話題の人、石飛幸三先生。先生は、これまで「尊厳死」と抽象的と云われていた高齢者の最期を、「平穏死」と表現されて、医療者やケアに携わる方々に、新しい取り組み方についてヒントを提示されました。

講師:石飛幸三先生(特別養護老人ホーム芦花ホーム常勤医)

1935年広島県生まれ、慶応義塾大学医学部卒業。
外科学教室入局後、ドイツのフェルディナンド・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務。
その後、東京都済生会中央病院に30年勤務、
その間慶応義塾大学医学部兼任講師を勤める。
1993年東京都済生会中央病院副院長、
2005年より現職。
著書に「平穏死のすすめ、口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社)、
看護の時代 看護が変わる 医療が変わる」(他2名と共著、日本看護協会出版会)、「こうして死ねたら悔いはない」(幻冬舎ルネッサンス)など。

福祉とNPO活動

私たちは、現在の社会で福祉(ウェルフェア)をいかに考えたらよいでしょうか。前提は経済成長が終焉に直面し、資源が枯渇に向かい、環境が劣化しつつあるという困難な社会的状況です。これまでは、国家福祉といわれるように、福祉は公的に賄われると考えられていました。しかし、福祉に向けられる国の予算が削減されるなかで、福祉の価値は個人的な判断に依存するという本質があり、また、ケアがその典型であるように、ひとと人との関係に根ざすものであることを思うとき、制度に頼るばかりでなく、自助、互助(近年、「新しい公共」といわれることもある)により、自分たちの手で達成することに意味があると考えました。今後、福祉は社会福祉、地域福祉が主役になってゆくべきでしょう。

 

福祉を担う組織は地域を基盤とし、行政組織、地域組織、その他関係機関と密に連携を取りながら活動を遂行する必要があります。目的を共有し、情報を交換し、物心両面で相互に力を得ながら進めるために、私たちは特定非営利活動法人(NPO)が適切な活動の足場と判断しました。福祉を実施するには資金の裏付けも必要です。そこには公的な給付ばかりでなく、活動に賛同する方々からの寄付や自ら負担することも含まれるでしょう。そして事業の運営やサービスの提供は、現場の事情に精通したNPOが主導あるいは調整して行います。

 

これまで高齢者の福祉については、セーフティネットを整えることに主眼がおかれてきました。つまり病気になれば医療保険、障害がでれば介護保険、困窮すれば生活保護といったネガティブな状態からの回復を考えてきました。しかし、ウェルフェアとはもともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表す心理的な概念です。経済的ベネフィットだけでなく、心理的なベネフィットを増進することがウェルフェアにとって有効な場合が多いと思います。つまり身体的な回復とは異なるポジティブウェルフェアの考え方です。私たちはこの点に注目し、医療・介護保険では賄えない、さまざまなサービスを提供し、豊かな晩年の実現を支援したいと考えます。

 

以上のような趣旨で特定非営利活動法人(NPO)を設立し、活動をしてまいりました。今後の具体的な企画は、その都度ご連絡いたします。ご理解いただき、ご協力、ご支援をいただきたいと思います。

 

2013年8月

特定非営利活動法人ホームケアエクスパーツ協会

理事長 酒井忠昭

私たちの目標

 20074月、私たちは、ホームケアエクスパーツ協会を設立しました。高齢者の療養形態が、病院から在宅にシフトし始めた頃でした。ややもすると、安易に再入院に頼りがちなケアの実態がありました。在宅での療養の継続を、優れたケアの提供により支援することで、高齢者や療養者が、自らが生活の主役であることを維持してヒューマンな晩年を過ごせるようにと願ってのことでした。そのためには、在宅療養を支援する方法と優れた専門家の存在が欠かせません。当協会は、訪問看護ステーションしもきたざわを運営し、地域に看護とリハビリのサービスを提供すると同時に、ケアの質の向上を図る研究と専門家育成を目標に活動してまいりました。

 

ところで、ヒューマンな晩年と一言でいっても、これは何を意味するのでしょう。高齢者の多くは病気や障害を抱え、医療や介護の助けを借りて回復を目指しますが、病気がなかったころの状態に戻ることは困難です。むしろ加齢による衰えの進行に抗しがたいのが現実かもしれません。また、年齢による差別(エイジズム)、殊に経済成長を前提にして、生産性が低下した世代を軽視する風潮がありますが、与してよいものでしょうか。このような考えは、年齢、性別等にかかわりなく享受されるべき福祉を阻害します。

 

時代を大きく区分し、縄文、弥生時代 その後の時代の3区分としましょう。それぞれについて、更に、成長、減速、定常の時代の3区分を考えましょう。われわれの住むこの時代は、地球の資源の観点で、「限りない経済成長」の限界に達し、すでに「定常期」に差し掛かっているという見方があります。広井良典(千葉大学法経学部教授)さんのような人は、これから人々は、「定常期」にあっては、単に、経済性のみに着目するのではなく、関係性(人間活動の諸要素間の関係、それぞれにおける充足感=幸福との関係等)を判断の拠りどころにすべきだと主張しています。私も同感です。高齢者のヒューマンな晩年も、関係性をキーワードに拓かれていくでしょう。人とひととの間を結ぶ絆、「つながり」が織りなす関係性の織物: 対話、交流、協働、傾聴、教育、芸術、趣味、娯楽、旅行、スポーツなど多様な分野で進む時間と空間の共有関係、経済的ベネフィットだけではない、心理的ベネフィット、すなわち充足感や満足感の増進が図られるべきでしょう。

 

私たちは、これらの世代に共通して享受されるべきベネフィットが、高齢者にも、療養者にも届くよう、NPOでこそ、場や機会を提供できることだと考えています。これまでに音楽療法、アロマセラピー、心理カウンセリング、講演会、落語会、ピラティスなどを企画・実施してまいりました。これからも地域の方々、ご賛同いただける方々の力や知恵をお借りしながら、活動を広げたいと考えております。

 

私たちの取り組みに皆さまのご支援をぜひお願いしたいと存じます。

 

2013715
特定非営利活動法人 ホームケアエクスパーツ協会
理事長 酒井忠昭

袖井孝子氏講演会・討論会

「皆で創る安心のコミュニティケア―ケアし、ケアされる関係の確立」

今回は袖井孝子氏(老年社会学会会長、お茶の水女子大学名誉教授)をお招きし、「皆で創る安心のコミュニティケア―ケアし、ケアされる関係の確立」をテーマに講演とグループ討論(ワールドカフェ方式)を行いました。司会は釘本祥子氏(桜ヶ丘サービス、代表)にお願いしました。

<講演>

以下、袖井先生の講演の要旨を記録します。

 

テーマは皆で考えていただきたいと思い選びました。2年前、100歳を超えた男性が死後10数年を経て発見され話題になり、これをきっかけに多くの生死不明者が発見されて、家族や地域の絆が弱くなった象徴とされました。無縁社会という言葉が流行ったり、都会で居住者の50%以上が高齢者で、互いに関係の希薄な団地のありさまが報道されるなど、高齢者の孤立、孤独がクローズアップされています。しかし、2011311日東日本大震災後には反対のことを感じました。津波が襲ったとき犠牲になった消防団、老人を助けようとした人、避難を呼びかけ続けた役場の人の献身的な行動、親を亡くした子供をほとんど引き取った親族などに東北の人々の絆の強さを感じました。

また、多くのボランティアが見られたのも印象的でした。これまでの日本は、身内には親切だが他人には冷たく、世間体を気にして異質なものを受入れない村社会でしたが、今回は違いました。日本には寄付文化は育たないと言われていましたが、今回の震災では高齢者の半分が寄付をし、寄付者の数は前代未聞だったといいます。日本ではこれまでチャリティやボランティアにたいする評価が低く、システムがありませんでした。カリフォルニアのある会社のトップに近い女性は専業主婦でボランティアに精を出していましたが、就職のとき経歴が評価され、会社の社会貢献部門に採用され、昇進して幹部になったといいます。最近、日本でも寄付税制が改正され、社会の変化の兆しです。

「新しい公共」は政府の財政逼迫が元々の理由ですが、新自由主義的な考えに基づいて民間の活力、市民や地域の活力、創造力を使おうとする考えです。政府の財政難、知恵の不足、官僚システムの限界という状況で提示されました。200910月の鳩山首相の所信表明の中で格調高く主張されました。新しい公共円卓会議がつくられましたが、内閣の消褪とともに、その後あまり実行されていないようです。前提として公益法人改革があります。従来の公益法人は団体、官僚、族議員の不透明な関係がありましたが、来年の末までに改革されることになっていて、その点は市民活動のやりやすい条件が整い、新しい気運が出てきました。

社会の少子高齢化は明瞭です。日本は50年後人口が今の2/3になり、65歳以上が4割、14歳以下が1割を切ると言われます。後期高齢者は老年学会で昔から使われていた専門用語ですが、この数が増えるのは避けられない状況です。したがってこれらの方々のケア重要な問題です。ケアには2つの意味があります。ひとつは手段的意味で世話をする、面倒をみることで技術的な身辺介護の意味です。他は情緒的、心理的意味で思いやる、大切に思うことです。これまでは効率的、能率的にケアすることに重点が置かれ前者が強調されてきました。しかし、ケアされる側の安心感、満足感を考えると、それだけでいいのかとなります。要はケアし、ケアされる両者の折合いがつけられるケアは何かということです。また信頼関係をどう築くかが問題になります。

多くの人が亡くなってゆくとき、どうしたらその方々が安らかに終末を迎えるか、社会で人々が共通の理解、目的、価値観を共有できるかが問われます。私の属する日本老年医学会の倫理委員会は今回終末期医療への立場表明をしましたが、2年間の議論の末「場合によっては医療撤退もありうる」という文言を加えました。医師の責任が追及されることを懸念しているのですが、社会に一定の合意ができなければならないと思います。

スウェーデンの事情を視察しましたが、老人病棟では最終的には医師が決断する。リビングウィルがあっても、家族の希望があっても医師が患者のQOLを優先して決めるという合意ができているということでした。日本でもこれから議論しなければならないと思います。(酒井記)